泉のほとり

泉のほとりは、「ふぁみりーさぽーと泉便り」として、年1回発行されている「証し集」です。
泉をサポートするスタッフにより 日々の介護を通して得られた 主の恵みが綴られています。




目次
2012年4月号
1.泉はここから始まった
2.働ける喜び
3.介護職員基礎研修を終えて
4.泉のほとりで
5.証
6.ありがとうございます



「泉はここから始まった」 理事 福田理佳

 「幻の「いこいの家」
 「私の家を福祉のために用いて欲しい」2005年暮れのこと、1本のお電話が教会に入りました。高齢の方々のための働きを立ち上げたい、それまで数人で集まり祈ってはいましたが、具体的な形は全く見えていない頃でした。しかし一方で、様々な声は聞こえていました。老後皆と安心して住める家があったら…などなど。もしかしたら、これが神様の応えだろうか、見せていただいた家は、私の目には輝いて見えました。そして貸主のY氏にお会いするたび、心は燃え不思議に強く励まされるのでした。

 このことをきっかけに、私たちは動き始めることになります。「ふぁみりーさぽーと泉」という団体名を考えたのもこの時期でした。そして、この団体を立ち上げる時心に決めたのは、教会には経済的な負担は一切かけず、別会計とすることでした。

 しかし、道筋は困難を極めました。まず、グループリビング(共同生活の場)を目指し、思い当たる方に声をかけましたが、時期尚早、まだまだ考えてもいない、とのこと。今思えば、当然のことですが。ならば、地域のご高齢の方々がいつでも自分の家のように集える「いこいの家」(サロン)として用いることができないか、と考えました。当時は「介護予防」という言葉が出回り始めたばかり、立ち上げるには丁度良い時期でもありました。しかし、地域との折衝がなかなか思うようにいきません。これもまた当然のこと。突然現れた団体に自治会が引くのもわかります。

 栄区役所、栄区社会福祉協議会、など様々なところに相談に行き、そこでアドバイスをいただいたのが、NPO法人格取得ということでした。ただのボランティア団体よりも、NPO法人の方が社会的信用度が高く、活動もしやすいと。早速NPO法人立ち上げに向け、急ピッチで準備することになっていきました。

 一軒の家を用途も決まらないまま賃借していくことに、大多数の方々は反対だったと思います。「一体何を考えているのか」そんな声も内外から聞こえてくる中で、NPO法人設立の準備が始まりました。設立趣意書、目的、定款作り…、平和台チャペル栄光の間に集まり皆で頭を悩ませたことを思い出します。初めてのことばかりでしたが、神様はこれ以上ないという助け手を最善の方法で最善の時に送ってくださり、非常に助けられました。

 また、理事のなり手がいない中、二人の姉妹と池田主任牧師が手を挙げてくださいました。後で聞いたことですが、「他のNPOは断ったのに泉は受けるのですか?」の問いに「他にいないでしょう」と応えられたそうです。そのくらい、教会の中での信頼度は低かったようです。この時期に体験した孤独感は厳しいものでした。

 一方、教会員のご家族で介護が必要なケースが増え、サロン立ち上げと並行し、有償での生活支援サービスを開始することになりました。このことを通して高齢者支援の働きが一気に形になっていきました。

 様々なことを考え合わせた結果、この家でサロンを開くのは無理があるとの結論に達し、場所はダイヤモンドチャペルの一室で開始することになり、結局この家は「いこいの家」として用いられることはありませんでした。



交通事故!!
 少しずつ、賛同者、理解者が増やされて行き、2006年4月30日NPO法人設立総会を持ち、5月に無事設立申請を行うことができました。後は3ヵ月後の法人取得を待つばかり、先輩方の勧めもあり取得後は介護保険事業所として指定をとることも計画していました。当時私は泉の他に2事業所に登録し、泊まりの勤務を含め「出稼ぎ」をしていて、とにかくがむしゃらに働いていた気がします。

 6月末のある日、高速道路を運転中、大型トラックに接触され左車線から大きく跳ばされ2車線を越えて右壁面に激突するという大事故に遭いました。あれだけの車の往来が激しい高速道路で、他の車を巻き込むこともなく、かすり傷程度で後遺症もなく済んだというのは、奇跡としか言いようがありません。その日、レッカー車で運ばれた車を見た時、大破した姿にイエス様の姿が重なりました。「イエス様が抱きかかえ、守ってくださった…!」と同時に「私が主である」という御声が心に響いてきました。いつの間にか「自分が頑張らなければ」と自我でいっぱいになっていた私を、完全に砕き、教えてくださったのです。これは主の働きであると。

 ふぁみりーさぽーと泉としても、それまでは考え方の違いなどでまとまりきれていませんでしたが、この事故を通して絆が深められた気がします。1ヵ月後の8月法人格取得、10月介護保険指定事業所を、翌年障害福祉サービス指定事業所を開始することができ、高齢の方々だけでなく障がいを持った方々にも対応できるようになっていきました。そして神様は必要のあるところに応える道を次々に開いてくださり、現在に至っています。



 緊急入院!?
 訪問介護を中心に順調に導かれてきた泉ですが、2012年度はデイサービスの立ち上げと共に、サロン継続の可能性も高くなってきました。「さあ、来年度に向けて祈って行きましょう!!」と手を挙げたまま倒れ込み、まさかの緊急入院、そして自宅療養となってしまいました。多大な迷惑と負担をスタッフたちにかけながら、この1ヶ月半、神様とじっくり向き合いました。響いてきた御声は同じく「私が主である」でした。何度も…、何度も!

 そして、改めて泉の始まりに目を留めさせられました。「幻のいこいの家」これこそが始まりだったのだと。あたかもリーダーである自分自身の決断によって事を進め、その責任を担ったような大きな勘違いをしていましたが、そうではなく、このことは神様の深いご計画だったのだと。確かに初めて見せられた家は輝いていて、私の心の内は燃えていた、それは事実だったのです。通された試練も、流した涙も、泉にとって必要なものでした。

 泉の祝福は、一軒の家から始まりました。そして、神様のご計画は留まることを知らず、今、思いもよらない形で開かれようとしています。神様はいつでも最高のものを、最高の方法で与えてくださる方です。それをどう受け止めるか、私たちの信仰にかかっているのではないでしょうか。



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「働ける喜び」     理事 小野美佐子
 岡山で一人で生活している92歳の母の介護のための岡山横浜往復の生活に2年半で終止符が打たれました。1月に圧迫骨折で入院した後、主治医から「もう一人で生活するのは難しいです。」と言われ、アルツハイマーの母を横浜に連れてくる覚悟をしていたのですが、9人が入居している普通の家のようなグループホームに急遽入居することになりました。

 グループホームは持てる機能を生かして生活できる認知症の施設です。母はつい数年前までお花を教えていたので、施設の花を活ける仕事をいただいて、溌剌と、家にいる時よりも生き生きと生活しているように思いました。それで私は毎月岡山に行かなくなり、久しぶりに一ヶ月泉の仕事に復帰しています。

 ヘルパーと利用者さんとの相性、適正、不適正もあり、コーディネーターは機械的にヘルパーを入れていくわけにはいきません。ヘルパーの体調不良のドタキャンもあります。介護保険、居宅介護、移動サービス、ガイドヘルプ、仕事の種類も増え、泉の働きますます重要になってきています。そんな中にあって、母の介護のために気持ち良く送り出してくれ、帰ってきたら気持ち良く働ける環境につくづく感謝しているこの頃です。



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「介護職員基礎研修を終えて」     理事 坂庭裕子
 1月末のある夕方、「介護職員基礎研修」を受けてみないかと事務所からお話がありました。ところが、申し込み期限がまさにその日で、迷っている時間も無いほど迫っている。4月からはスケジュールがきつくなるので、今の内に受講しておいた方が良いだろうと、軽い気持ちで申し込みました。

  仕事を終えた後の夜6〜9時の3時間の学びが二ヶ月間続きます。元来の勉強嫌い、じっと座っていることの苦手な私ですから、参加するのがやっとこさ、居眠りするだろうとたかくくってました。ところが、参加者11名のクラスでは居眠りどころではありません。ましてや、その内容の深さ、一人の人生の尊さ、重さを思わされ、いつの間にか講義にぐいぐいと引き込まれている私がそこに居ました。

 S姉のケアをさせて頂いた時期は、まさに「ターミナルケア」について学んでいるまっ最中でした。その人が、その人らしく人生を終えることができるように見守り、寄り添っていく。プロの介護者としての自信と誇りを持ちつつ、大切な一人に仕えていくことを教えられました。また、片側マヒの方をベッドから車いすに移乗する実習の翌日に、K兄を病院から結婚式場へ送迎するボランティアに召され、神様に用いられたことを喜びました。

 疲労、眠気と闘いながらの二ヶ月間がようやく終わった今、けっして乗り気ではなかったこの受講が、ひとつの起爆剤になり、次へのチャレンジに繋がったことを覚えます。
 来年の今頃・・・さて、私はどうなっているでしょう?神様に乞うご期待!


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「泉のほとりで」  会計 瓜生由美子
 2006年ふぁみりーさぽーと泉が立ち上げられて以来、ずっと泉のほとりで憩わせていただいています。最初はミニデイサービスのお手伝いをさせていただいていましたが、段々と小さな泉が大きな泉に広がっていき、いろいろな所で用いていただくようになりました。ご利用者様の笑顔に憩わせていただいたり、事務所での交わりで憩わせていただいていますが、何よりもふぁみりーさぽーと泉と共にいてくださる神様のご愛を、多くの方を通して感じることができ、泉のほとりで憩わせていただいています。

 今年度は、泉の飛躍の年になりそうです。祈りなしには進めないところに立っていますが、神様に期待して歩んで行きたいと思っています。


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「証」  常勤スタッフ 羽田佳之
 始まりは学生のアルバイト。そこからこんなにも介護の仕事に関わるようになるとは…。 神様のご計画にはいつも驚かされます。

 今まで違う分野を歩んできており、緊張・不安も多々ある中ですが、何とか守られ日々新しく学ばされています。ヘルパー2級の講習、ガイドヘルパーの研修、福祉用具専門相談員の研修など、この数年間多くの学びを通して今までとはまた違った視点を与えられた気がします。

 特に先日参加したターミナルケアの勉強会。それは川口キングスガーデン副施設長の方をお招きしての勉強会でした。基本的な事から分かりやすく説明してくださいました。お話を聞く中で、自分がサービスに入る時「祈り」が足りないのではないかと思わされました。いまだ緊張は中々とれず、不安もどうしようもない中なのに、「自分」にすがってしまってはいないだろうか?ご利用者様の状態にきちんと目を向けられていただろうか?祈ることだけに集中し努力を怠ってはいけないと思うけれど、はたして今までどれだけ純粋に祈れていただろうか…、と目を開かされた思いです。

 まだまだ若く、弱く、愚かな者ですが、今立たせられている現状に向き合い、プロ意識を持ち、日々主に委ねて歩んで行きたいと思います。主に期待して。


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「ありがとうございます」   ヘルパー 市村美香
 “世界中の子ども達のために、働きたい…”漠然とした、そして何だか自分でもよくわからない壮大なスケールの夢をずっと持ち続けて大人になりました。 神様に出会い、あの漠然とした、しかしずっと熱く持ち続けて来た夢の意味、私の人生の意味と目的を知りました。

 目的が見えたら、後は行動するのみ!ということで、大好きだった幼稚園教諭の仕事を辞め、世界の子ども達の元へ飛び出していくために、必要な訓練と学びに入りました。 日本、カナダ、タンザニア。4年半に及ぶ訓練を受け、いよいよ世界に飛び出そう!という所で、私(・)の(・)計画は崩れました。海外に行く所か、立ち上がることも出来ない程の倦怠感に襲われ、日々の生活もままならない状態になってしまいました。

 「今まであんなに沢山の人々に応援されてきたのに、私はその期待に応えることができなかった。こんな状態では、神様の計画の為に役立つことなんて出来ない…」そんな風に自分を責める日々が続きました。

 そんなある日、“泉”の働きに加わるお話を頂きました。 「自分にも、まだ出来ることがあるなら…」わらをも掴む様な気持ちで、泉の働きに加えて頂きました。少しずつ、自分の体力に合わせて、サービスに入らせて頂く中で、自然と口に出てくる様になったことばは、「ありがとうございます」でした。

  利用者さんはいつも帰りがけに「ありがとうございます」と声をかけて下さいます。それに対して、私も「ありがとうございます」の気持ちでいっぱいです。皆さんお一人おひとりから今日も元気を頂いたこと、そして今日も私を使って下さる神様に、心から「ありがとうございます」が毎日溢れてきます。

 もうすぐ、“泉”のヘルパーになって1年が経とうとしています。 素晴らしい同労者たちに支えられ、そして家族に送り出され、今日も私の「ありがとうございます」タンクは溢れ出る程に満たされ続けています。

   
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
    わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げー
    天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
    わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。


 1年前、私の計画は崩れました。しかし、私よりもはるかに高い思いと、全く異なる最高の計画を持っている神様の計画で、“ふぁみりーさぽーと泉”に加われたことは私にとって最善でした。そして、今までの訓練の一つも無駄になることなく、ここで活かされ、そしてこの働きを通して、沢山の子ども達との出会いがあることが、私の何よりの喜びです。


*この原稿は1年以上前に書いてもらったものです。それから大きく状況は変わり、震災後からは、おもに被災地支援活動に力を注いでくれています。ふぁみりーさぽーと泉にとって大切な働き人です。


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