泉のほとり

泉のほとりは、「ふぁみりーさぽーと泉便り」として、年1回発行されている「証し集」です。
泉をサポートするスタッフにより 日々の介護を通して得られた 主の恵みが綴られています。


目次
2008年6月号
1.ふぁみりーさぽーと泉の誕生)
2.生活支援サービスの現場から
3.重度訪問介護の現場から
4.障害福祉居宅介護の現場から
5.介護保険訪問介護の現場から

2009年6月号
6..家族の介護を通して
7.送迎奉仕13年の恵み
8.障害福祉の現場から


「ふぁみりーさぽーと泉の誕生」 理事 池田 博
 ふぁみりーさぽーと泉のニュースレターを発刊することになりました。
教会の皆さんに働きの内容を知っていただき、祈っていただく、また理解者、協力者が起こされて、働きが広がる中で支えられるようにと願って始めるものです。
  2006年1月に立ち上げの話し合いがなされました。 それ以前にはボランティアミニストリー、福祉ミニストリーとして10数年前から 有志の姉妹方の間で働きがなされていました。 またグループホームやケアプラザなどで働いて経験を積んで時が来て 泉のスタートにこぎつけたという面と、家を提供してくださる方などが起こされて、踏み切るきっかけが与えられたりもしました。 
 さらにこの働きが教会の中の働きだけでなく地域社会の時代のニーズに応えていくためには、個人のボランティア活動ではなく法人化していかないと信頼を勝ちとってはいけないということが見えてきましたので福田姉を中心に有志たちによってNPO法人格取得にむけての準備が進められ2006年5月に申請、8月に受理されたのでした。 
 これからは教会を中心に地域社会に根をおろし、ニーズに応える働きとしてますます充実をはかっていきたいと心から願わされています。 
 お祈りくださり、お支えくださいますように。  心から主に感謝しつつ。

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「生活支援サービスの現場から」  スタッフ YM
 まばゆいほどの新緑の美しさ、素晴らしい季節となりました。
この時期になると私が介護の道を選んで歩み始めた5年前を思い出します。 自分が介護を受ける年齢ですのにこのようなチャレンジ精神を与えられて、若い方についていくのに大変な苦労と努力がいりました。憶えも悪く、こんなはずではなかったと認識させられながら、なのにくじけずに前向きにやらせていただいてここまで来ました。感謝です。

 訪問介護の経験のあと、現在はふぁみりーさぽーと泉に籍を移し、ケアホームの生活支援と高齢者の訪問介護に関わらせていただいていますが、少し心に余裕が出来てきたせいか仕事が楽しくなりました。 考えてみるとこの仕事はいつも相手方の健康と安全に気を遣い、また終わりがないと思います。 ですからやりがいがあるのかもしれません。 これからも力ある限り、自らの経験を生かして心から喜んで温かいぬくもりと愛をお届けさせていければなぁ、と思います。 また、その為にはまず自身が健康であり心が平安であることが第一と思います。 生かされていることに感謝して!

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「重度訪問介護の現場から」     スタッフ ST
僕はふぁみりーさぽーと泉で障害者の介護に携わっています。 4人の障害者の方が共に暮らすグループホームで、そのうちの2人の男性の世話をするのが僕の役目です。 一言に障害者といっても障害の度合い、種類は人それぞれです。 全くしゃべれないけれど実は僕より頭がいい人、少年の時の純粋な心を持ち続けている40代の人など、本当に奥の深い魅力的な方ばかりです。 ある時、僕に少し心を閉ざしていた障害者の方が彼のお気に入りの絵を葉書にかいて僕にプレゼントしてくれました。 ようやく彼なりに僕を受け入れてくれて、また感謝してくれているのだという事を感じました。 今までやってきたどんな仕事よりもやりがいを感じた瞬間でした。
 ふぁみりーさぽーと泉で得た経験は僕にとってとても大事なものです。 僕がアフリカにいたとき、生まれついての障害者を見たことはほとんどありません。きっと障害のある子が育ててもらえるというのは少ないのでしょう。障害者がこの社会で平和に暮らしていけるというのは決して簡単なことではないのだと思います。
ふぁみりーさぽーと泉を通して神様は障害者の方たちを祝福して守っています。 だから僕はこの働きがどんどん大きく増し加えられていく事を、心から祈っています。

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「障害福祉居宅介護の現場から」  スタッフ MO
障害者自立支援法は2006年に「障がいを持っていても地域で安心して暮らしていけるように」という思いで制定され、ふぁみりーさぽーと泉もその制度を利用しておられる方のところのケアーもさせていただいています。 将来的には自立して私たちの手助けが無くてもしっかり生活していただけるよう、時には厳しくさせていただく事もあります。 最初は料理や掃除のお手伝いをさせていただいていましたが、この頃はほとんどご自分でされ、私たちは見守る程度です。 この見守りがなくても「きちんと出来る様になっていただきたい」と願っている今日この頃の私たちです

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「介護保険訪問介護の現場から」  スタッフ YS
 現在介護保険利用の方は18名おられます。要支援2から要介護4まで さまざまなケアーを必要とされています。 ますます高齢者は多くなり、また一方では障がいがあるため生活に困難をお持ちの方もあります。 ご利用者様の現状を保ちつつ、すこしでも快い生活環境を整えていけるよう「過不足のない働き」が、 サービスの上で大切だと感じています。 
 活動させていただく中で、ご利用者の方々がご不自由な中で工夫をなさっていることに教えられることも多くあります。 物の置き方、動かし方、道具の使い方等、ヘルパーの仕事につかなければ知ることの出来なかった事もたくさんありました。 “泉”のサービスを待っていて下さるご利用者様の「お願いします」「ご苦労さまでした」のお声をいただく時、’信頼してくださっているのだ‘と励まされます。 ご利用者様と共に歩む“泉”でありたいと願っております。

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「家族の介護を通して」   代表理事 福田理佳
 毎日プールに通い、3000mを泳ぐ。 お昼は馴染みの中華料理店で食事をし、午後はジムで筋肉トレーニング。 ショッピングの後、早めの夕食をデニーズで済ませ、6時頃に帰宅。 姑は羨ましいほど自由気ままな一人暮らしをしていた。

 これだけ鍛えているので足腰は丈夫で、病気という病気もしたことがなく、いつも軟弱な私の方が心配をかけていた。 月に1度は相模原から礼拝のため本郷台にも通っていたし、「介護」などという言葉には全く縁がなく、最後までこのように元気で余生を送るのだろう、と私たちは考えていたのだが・・・。  

 しかし、ある時から事態は急変した。 いつもの日課を終え、バスに乗ろうとして走り出した時、歩道の段差につまずき転倒、左肩を骨折してしまったのだ。 入院せず自宅療養になったが、一人暮らしのため、生活のすべてに支障が出てきた。 その時は、お隣の方が毎日食事を届け、着替えを手伝ってくださった。 私たちも時間を作っては訪ね、部屋の整理をして安全な環境を整えた。 また、週に1回訪問介護の方に、食事や掃除の手伝いをしてもらうようにした。

 ところが、何でも自由にしていた生活が一変して不自由になってしまったストレスからか、あれほど前向きで元気だった姑が日に日に肉体的にも精神的にも落ちて行ったのだ。 そして言動に異常が見え始めた。 それは「隣の○○さんが勝手に家に入って来て物を取って行って困るのよ。」という訴えから始まった。 

 初めは時々だった訴えも頻回になり、遂には日に何度も電話をしてくるようになった。 それだけでなく、その方に対する攻撃が始まり、近所中にふれ回るようになった。 また、その頃から衣服の乱れも見え始めた。  脳神経科に連れて行ったが、適切な診断をしてもらえず、そのまま様子をみていると、当時担当だった相談員に、まるで私たちが放置しているかのように責め立てられた。

 世間の眼は厳しかった。 特に嫁である私への風当たりの強さを感じた。 やっとのことで同じ病院の精神科に行き着き、「脳血管性認知症」という診断が下され、それから介護保険との付き合いが始まった。

 坂道を転げ落ちるように急激に姑の状態は悪化し、週末だけの介護では手に負えず、毎日訪問介護に来てもらうようになり、さらには朝夕2回の訪問をお願いするまでになった。 それでも一人の時間が長すぎ、不安による幻聴や幻視も出始めた。 仕事を減らし週日の介護にあたったが、限界がある。

 そんな時、親身になって支えてくれたのがケアマネージャーとヘルパーの皆さんである。 姑のケアだけでなく、介護者の私に対しても心遣ってくれた。 まさに姑にとっては「命の恩人」、私にとっても救いだった。  当時は、訪問介護というものに対し、漠然とした意識しか持っていなかったが、実際介護していただき、その仕事の大切さを初めて知らされた。 人がひとりでは生きられなくなったとき、その人に寄り添い、支え、共に歩んでくれる家族の次に近い存在。介護に疲れ心が萎えてしまいそうな家族にとっても、温かな一言がどれほど大きいものか。
私自身何度慰められたか知れない。

 その後姑は、教会裏に新しくできたグループホームに入居することになった。それから3年半が経ち、今は、職員さんや友人に囲まれ、穏やかに生活している。 毎日曜日、姑と共に礼拝をささげるのが私たち夫婦の日課となっている。 足腰は弱ってきたものの、病気は不思議と進行せず、以前の状態が信じられないほど、明るく元気だ。

 主は姑を用いて、目を向けなければいけない大切なことを私たちに知らせてくださった。 キリスト者として主と人に仕えていくため、「介護」はそのひとつの手段なのだ。 私たちが多くの人たちに支えていただいたように、私たちもまた、介護を必要としている方々に届きたいという思いから、仲間と共に「ふぁみりーさぽーと泉」を立ち上げた。 

 「ふぁみりーさぽーと」という言葉を付けたのは、家族支援の必要性を強く感じたからだ。 今、多くの人の眼が介護に向けられている。 世の中で何が起きていて、何が必要とされているのか、キリスト者に求められているのは何なのか、そして私たちに何ができるのか、しっかりと見据えていかなければならない。 これまで様々な所を通されたが、主が必要とされるならば、これからも導きに従って行きたいと、心から願っている。

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「送迎奉仕13年の恵み」  理事 坂庭裕子
 3月半ばのある水曜日、13年間続けてきた「鎌倉養護学校の子供の送迎」という奉仕を終えました。 養護学校に通う子供たちと電動車椅子を家〜学校、学校〜家へ送り届ける働きです。 元々ボランティアミニストリー、福祉ミニストリーなどの働きが拡がっていく中でお引き受けしたもので、祈られながらの奉仕でした。

 私が関わったのは全部で4人、一人は転居、一人は天国へ、二人が卒業しました。週に一回だけ、水曜日が私の担当なので、子供たちに「水曜日のSさん」と覚えられました。 座位が保てない。 言葉が出ない。 重い障がいを持つ子ばかりですが、話しかけると何らかの反応を示してくれます。 移動中の車内でも私の問いかけに首をかすかに縦横に振って応えてくれたり、歌を歌うと手を振ってくれたり、「お昼に何を食べたか?クイズ」にも嬉々として手を上げてくれます。 最後の水曜日、最後の子Aちゃんの家の少し手前で車を止めました。 「Aちゃん。今日でさよならだね。 私の顔も名前も忘れちゃっていいよ。 ただね、ひとつだけ覚えていて欲しいことがあるの。」真剣に私の目をみつめるAちゃん。 「困った時、淋しい時、嬉しい時・・・・・どうするの?」

 拘縮したAちゃんの両手がゆっくりゆっくり近づき、やがて両手のひらを合わせ、ひとつになり、ギュっと握り合わされました。 そしてやっと聞き取れるような不明瞭な声で「アーメン」。 ハレルヤ! そうよ、それさえ覚えていれば大丈夫。 イエス様はいつも一緒だよ。 そう祈ってから家に向かいました。

 その数日後のこと。 ふぁみりーさぽーと泉では「移動サービス」を始めることになり、私は講習会場にいました。 今までは送迎してお金を頂くことはバスやタクシーの営業を妨害する「白タク扱い」として禁じられていました。 ですから無償奉仕です。 ところが法律改正され、講習を受けて認定された事業所は有料でこのサービスができることになったのです。 座学が一日、運転が一日。 その運転講習の時のことです。 私は自分で運転が上手いとは決して思っていませんが「人並み」の運転はできるだろうと。 

 ところが、下された評価はCランク「人並み以下」でした。 そして教官に言われたこと「ひとつひとつが丁寧じゃない。 ひとつをきちんと終わらせてから次をしなさい。 何をそんなに急いでいるの?」この言葉はショックでした。 正にその通りだったからです。 運転だけではない、私が生きてきた中で何人かにこの言葉を言われました。 私のやること、成すこと、生活、人生すべてが「ひとつひとつが丁寧じゃない」手早くチャッチャと片付けてしまうヤッツケ仕事だったのです。 教官の声が神様の声に聞こえ、いろいろなことが思い出されました。

 鎌倉養護学校の子供たち。 しゃべることができず、私の雑な運転にも黙って耐えていたのでしょう。 13年間の経験から知ったかぶり、出来ているつもり、でも実は何も知らない者、出来ない者だった。 ああ・・・神様は13年もかけてこのことを教えて下さったのですね。 今、「丁寧」を目指して自分の生活・時間・奉仕を見直そうと思わされています。


人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(第一コリント8:2)

 10月ふぁみりーさぽーと泉に初めての公用車(軽)が与えられました。そして現在、移動サービス事業開始の申請中。6月末には許可される予定です。

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障害福祉の現場から    スタッフKH
 ふぁみりーさぽーと泉に関わる事になったきっかけは、ユースの仲間であるK兄の誘いでした。最初話しを聞いた時は、「今まで福祉の分野に大して興味もなかったのに関わっていいものだろうか?」との不安から積極的になれませんでした。
  しかし、祈りの中で「この機会を逃してはいけない」と語られました。 実はその頃、「人を愛する事」について悩んでいたのです。 教会の働きである泉を通して福祉の働きをすれば、何か答えが与えられるのではないかと思いました。
 まだ短い期間ではありますがその中で感じた事、それは「愛」とは「犠牲」であるという単純な事でした。 自分の弱さの一つはコミュニケーションですが、そこで犠牲を払う必要がありました。 小さな事かもしれませんが、祈りなくして「犠牲」を払うことは困難でした。 ですが、この経験を通して少しの成長と多くの祝福を受けたことを感謝します。 むしろ自分ばかりこんなに祝福を受けていいのだろうか?とすら思います。
 ケアホームは暖かい場所です。 正に愛があらわされる場所だと思います。 今ある働きが更に祝福される様、また主の愛・祝福・栄光が地域に注がれていくため、働きが増し広げられる様心からお祈りしています。

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